貴志川大飯盛物祭は、高さ約5m、横3m程度の大きな電球のようなものを竹軸で作り、竹串にさした餅をぐるりに取り付けて大きな握り飯に見立てた盛物を、貴志川町内から大国主神社まで練り歩く、貴志川町指定民俗文化財。
 那賀郡史に「後醍醐天皇の元応年中、北条氏の末期に河東(東貴志村)の人、右近殿、高尾殿、梅尾殿の3人の神主より盛物を出し申し候」とあるように、約685年前の鎌倉時代(1320年ごろ)に始まった伝統のある行事で、大国主神社の伝説によると、遠い昔、近くの貴志川の国主淵に生息する龍蛇が、たびたび人を殺していた。 村人は生け贄として娘を毎年一人差し出していたが、後に社を建て娘の代わりに大飯を奉納したのが祭の起源と云われている。
 江戸時代までは旧暦3月3日に毎年開催されていたが、祭の費用は地元の素封家が出しており、毎年実施するには負担が大きいため明治以降は数回程度の開催になった。  昭和になると昭和10年(1935)を最後に途絶えてしまい、新暦の4月3日に貴志の大飯(おい)祭として餅投げなどを行うことがほとんどだったが、昭和56年(1981)に伝統行事を伝えようと46年ぶりに復活したものの、その次の開催は12年後の平成5年(1993)、その後は平成の大合併が行われる平成17年、合併後はこのような祭の開催も困難になるのではないかと士気が高まり、貴志川町最後となる平成17年(2005)4月3日開催された。
2005年貴志川大飯盛物祭の様子(PHOTO ALBUM)